ナイーム・アモールとは一体誰か? ナイーム・アモールは1997年にアリゾナ州ツーソンにやってきたひとりのパリジャンである。しかも、写真を見る限りはちょっとした伊達男風。彼はギターやヴァイオリンを弾き、ちょっとしわがれた声で歌う。ハウ・ゲルブは「ナイーム・アモールは俺のお気に入りギタリストのひとりさ、以上!」と簡潔なコメントを寄せていたが、彼がツーソンのミュージシャン界隈にとって魅力ある「異分子」であることは確かなようだ。彼こそが「アヴァン・フレンチ・ポップ」とでも言うようなものを、ほかでもない「アメリカーナ」の震源地のひとつであるアリゾナの一都市に持ち込んだのだ。
以前キャロット・トップというシカゴのレーベルからアルバムを2枚リリースしていたアモール・ベロム・デュオというふたり組のことを知っているだろうか。彼らの作品は当時ライセンスされて国内盤にもなっていたし、つまり少しは注目を浴びていたのだろう。フレンズ・オブ・ディーン・マルティネスだとかキャレキシコだとか、荒涼とした砂漠風景を喚起させる目新しいバンドのひとつとして、また、彼の地を代表するジャイアント・サンドが『Chore of Enchantment』という傑作で大きく扉を開いた「アメリカン・ゴシック」なるものに、よりによってフランス人の身分で荷担した風変わりなバンドとして、ナイーム・アモールとドラマーのトーマス・ベロムのふたりは遊星からの物体Xよろしくフランスから舞い降り、すぐにツーソンの音楽シーンで頭角を現わしたのである。
今から大体10~15年前、アメリカン・ゴシック、ポスト・ロック、アリゾナ、デザート・ロック、アメリカーナ……、まだたくさん残っていた紙の雑誌のページの端をそういった言葉が賑わしているときに彼らは活動していた。直接的にラムチョップやスパークルホース、デヴィッド・グラッブスやノエル・アクショテとのつながりを持ち上げた評も多かったように思うし(そういった人たちとアモール・ベロム・デュオはツアーしていた)、もちろん、キャレキシコのジョン・コンバーティノ、ジョーイ・バーンズ、ジャイアント・サンドのハウ・ゲルブやニック・ルカ、クレイグ・シューマッハといったツーソン周辺の敏腕ミュージシャンが実際にアモール・ベロム・デュオの作品に参加していることも、彼らを紹介する際に欠かせない便利な情報だったように思う。
ともあれ、ナイームは相棒のトーマス・ベロムと一緒に物好きにもアメリカの砂漠の町にやってきたわけだが、しかし、まったくふたりでやってきたというわけではないらしい。実はアモール・ベローム・デュオにはもうひとり欠かせないメンバーがいた。作詞家としてグループに関わるマリアンヌ・ディッサード、不思議なことに彼女もまた10代でアメリカに渡ってきたフランス人で、ロスアンジェルスに住んでいたときのルームメイトが何とハウ・ゲルブだったらしい。元々映画を学んでいた彼女だが、ロスアンジェルス時代にはアレックス・コックスやグレッグ・アラキといった錚々たる人たちと交流を持っていたようで、1994年にはジャイアント・サンドのドキュメンタリー映画『Drunken Bees』を撮るためにツーソンに行き、そのままこの砂漠の町に居着いてしまったという。
しかも、彼女はどうやってかパリ時代のナイーム・アモールと出会い、恋に落ち、人生の伴侶となった(数年前に離婚してしまったようだが)ばかりではなく、2000年代に入るとシンガーとして大きな賞賛を浴び、作詞家としてもフランソワーズ・ブルーに作品を提供するなど、充実した音楽活動を開始するのである。きっと相当な才女なのだろう。ともあれ、シャンソンとフレンチ・ポップをアメリカーナの乾いた水盤に浮かべる、という点では、ナイーム・アモールとトーマス・ベロム、そこにこのマリアンヌ・ディッサードの名前をセットで覚えておくのもいいだろう。
なお『スウィート・ドリームス』のレギュラー寄稿家のひとりで日本通、映画『ローズ・イン・タイドランド』の原作者である作家ミッチ・カリンがツーソンにいたのも2000年代初頭だったのだろうか。夜な夜なホテル・コングレスという古いホテルに集まり、バーにたむろして、ステージではハウ・ゲルブやキャレキシコが入れ替わり立ち替わり演奏する……。重いビロウドのカーテンにペルシャ絨毯、ウィスキー、トータスのジョン・マッケンタイアが「ジャイアント・サンドのファンは本当に綺麗な女の人ばっかりで……」とうらやんだちょっと大人のポスト・ロックがそこでは日々展開されていた、のかもしれない。
ちなみにまだパリにいたころ、ナイーム・アモールとトーマス・ベロムはウィッチズ・ヴァリーというハードコア・バンドをやったり、ジェネラシオン・カオ(Generation Chaos)という実験的なパフォーマンス・グループに関わったりしていたらしい。彼はまたアモール・ベロム・デュオをABBC(アモール・ベロム・デュオにジョーイ・バーンズとジョン・コンバーティが加わったプロジェクト)というバンドに拡張させ、『Exsanguine』(2006年)『Sanguine』(2009年)『Dansons』(2012年)、以上3枚のソロ・アルバムと日々のスケッチ集とでも言えそうな架空のサウンドトラックを4枚リリースしている。もちろん、キャレキシコやデヴォーチカといったバンドの諸作品への客演もお忘れなく。と、活動の幅は随分広いが、どこかのサイトにナイーム・アモールが自身の音楽を表わした言葉としてこんな言葉が引用されている。「単語ふたつでいうと、伝統と実験、だね」。
さて、スウィート・ドリームス・プレスは、彼の3枚目のソロ・アルバム『ダンソン』を9月15日にリリースすることにしました。パリで生まれ、ツーソンで活動する男の、ロンドンの小さなレーベルから出たブラジル風アルバムの日本盤、というわけです。世界を巡り巡って見た夢は巡り巡ってこんな音楽になりました。よかったらおひとつ、その冒頭の曲を聴いてみてください。