Interview with Ryan Francesconi

ジョアンナ・ニューサム・バンドの貴公子(?)、ライアン・フランチェスコーニのアルバム『パラブルズ~たとえばなし』、既に店頭に並んでいるお店もありますが、明日、4月1日(木)に発売となります。皆様、どうぞよろしくお願いします! 試聴はこちらで。
というわけで、今つくっているフリーペーパー「スウィート・ドリームスのヒビ」用に、現在、ジョアンナ・ニューサム・バンドの一員として全米をツアー中の彼に幾つか質問をしてみました。『パラブルズ』の背景を紐解く、何かのヒントとか発見なんかが含まれていれば幸いです。うん、ライアン、面白い人だな。
ヨーロッパのアコースティック・フォーク音楽、とりわけ、ブルガリアのトラッド音楽には、どうやって出会ったんですか?
こういった音楽に初めて出会ったのは、1992年に大学に通いだしてからだね。最初は僕のギターの師匠だったミロスラヴ・タディック(Miroslav Tadic:『Guitar Player』誌1997年1月号で「世界前衛ギタリスト30傑」に選ばれたセルビア人ギター奏者。アメリカ在住)から、また、作曲という点ではベラ・バルトークの作品を通して、これらの音楽を学んでいったんだ。そのころの僕の音楽は、東欧トラッド・フォーク音楽からの影響がモロだったね。今でも僕のメロディやハーモニーのセンスは、ブルガリアのフォーク音楽を土台にしたものだと言えるんじゃないかな。一方で、僕にはクラシックやジャズの素養もあるけど、最もインスパイアされたのはフォーク音楽だということは確かだよ。
ザ・トイズトリオ・モプムといった、あなたがかかわっていたトラディショナルなスタイルのバンドについて教えてください。
そういった音楽を実際につくっていくことで、僕はそれらの音楽のスタイルを独学で身に着けていったんだ。ザ・トイズは、1997年、僕が、極々トラディショナルなバルカン・フォーク音楽をプレイし始めた直後に結成したバンドでね。そういったスタイルで、いろいろな作曲法を試してみるための受け皿が欲しかったんだ。だから、このバンドは自分たちの楽しみのため、いろいろな音楽を自分たち流に演奏するために結成したと言えるだろうね。トリオ・モプムは、2003年にブルガリアで3ヶ月を過ごして帰国してからつくったグループだよ。そのときの僕の興味は、ザ・トイズでやっていたようなアマルガム状の音楽ではなくて、もっと純粋なブルガリア音楽をやることにあったんだ。また、いろいろなものを受け入れられるよう、ジャズ・インプロヴァイゼーションに根ざしたバンドをやりたかったというのもある。最近は、時々集まって練習するぐらいだけど、昔が懐かしいな。コンサートをやる機会を無理してでもつくらなきゃって思えてきたよ。
ジョアンナ・ニューサムと出会ったいきさつについて教えてもらえますか?
ジョアンナとは、あるフォーク音楽のイベントで出会ったんだ。そのイベントで、僕はブルガリアのフォーク音楽を教えていてね。彼女の演奏はもちろんだけど、あのクレイジーなファッションにも度胆を抜かれたな! 2005年のことで、そのときには彼女の音楽は聴いてなかった。でも、だんだんと仲良くなってね。そうしたら、彼女から制作中のアルバム『Ys』をライヴで演奏できるようにバンドを組みたいって相談を受けたのさ。で、複雑なオーケストラ・アレンジをどうやって小編成のバンドに落とし込んで、発展させられるかアドバイスしてあげてね。僕も、ヴァン・ダイク・パークスがやったオーケストレーションをライヴ用にリアレンジして、とにかくいろんなバージョンをつくった。そのときの苦労を思うと、今年は最高だよ。何たって、彼女の新作『ハヴ・ワン・オン・ミー』のアレンジを全部任せてもらえたんだからね!
先日、ジョアンナ・ニューサムのバンドの一員として来日されていたとき、あなたはRFとしての活動をやめ、もうエレクトロニック音楽はやらないと言っていましたね。もう一度、その理由を教えてもらえますか?
RFでやれることが終わったように思えて、それでRFをやめることにしたんだ。そろそろやめるべきなんじゃないかって、ピンと来ちゃったんだよね。あのころにつくっていた音楽は、プログラミングに没頭してた自分を反映してた。バルカン・フォークみたいな複雑な音楽が聴けなくなって、アンビエントばっかり聴いてたんだ。そうして、自分がつくる音楽もアンビエント風のものばかりになっちゃってね。
でも、コンピュータを使って音楽を演奏することに興味が持てなくなったんだ。正直、今までコンピュータでの演奏を楽しめたことなんてなかったけど、それ以外にRFのサウンドを表現する術がなかったんだよね。それに、最新のソフトウェアを使えば、どんな素敵なサウンドも簡単につくれちゃうんだ。自分にとっては、もの珍しい玩具みたいなものだったけど、最終的に、コンピュータで彫刻するように作曲したものって、その音楽自体の説得力がどんどん失われていくように思えてきてね。もちろん、コンピュータを使っている人すべてに僕の意見が当てはまるわけじゃないけど、とにかく僕にとってはそうだった。で、偶然か必然か、プログラミングとエレクトロニック音楽から同時に離れていくことになったんだ。
RFでの活動をやめてから、僕は数年、バロック期のリュート音楽だけを聴いて過ごした時期があるんだ。もっともピュアな音楽に感じられてね。そうして、また自分のギター演奏に興味が戻っていったんだ。それまでずっと、僕はいろんな楽器を演奏することにかまけて、ギターはないがしろにしていたんじゃないかな。だから、自分にとってはチャレンジでもあったんだ。ギター1本のレコードがつくれるぐらいになるかどうかという、ね。
とにかく、ピュアな音楽がつくりたかった。プライベートなもので、ひとりで演奏できるような音楽をね。そして、2008年夏、アンドリュー・バードが、自分のコンサートのオープニングに僕を招いてくれて、それから、僕はギターの独奏を自分のソロ・プロジェクトとして受け入れられるようになったんだ。他に選択の余地もなかったしね。どちらにしても、ひとりで演奏しなきゃいけなかったんだから!
『パラブルズ~たとえばなし』は、本名でリリースする初めてのレコードで、素顔の僕にとても近いもののように感じてる。だからこそ、初めて自分の本名を冠する気になったんだろうね。文字通りの独奏で、オーバーダブもなし、ただ、演奏を録音したんだ。そんなつくり方、今まで、僕はしたことがなかったんだけどね。
最後に『パラブルズ~たとえばなし』の良きサブテキスト、リファレンスになりそうな音楽を紹介してもらえますか?
直接の影響源として、『パラブルズ~たとえばなし』におけるパンドラの箱と言えそうなのは、シルヴィウス・レオポルト・ヴァイス(Sylvius Leopold Weiss:ドイツ後期バロック音楽の作曲家・リュート奏者)だね。そこにすべてがあると思うよ。
それからドイツ人作家のヘルマン・ヘッセも第一の影響源だね。とりわけ、彼の『ガラス玉遊戯』に、本物かつ明白な芸術表現を見出したことは大きい。下心のない何かを。これが僕を惹きつけ、同時にインスパイアしたんだ。15歳のときからヘッセの本を読んできたけど、年をとるにつれて彼の捉え方が変わってくるんだよね。
で、最終的に、僕は可能な限りエゴイスティックな動機のない新しい音楽をつくりたいんだってことが分かったんだ。でも本当に、それ以外に嘘のない芸術をつくる方法なんてないんじゃないかな。もちろん、本当の自分を見つけるなんて、なかなか難しいことだけどね。

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